久米裕選定 日本の百名馬

ハクチカラ

父:トビサクラ 母:昇城 母の父:ダイオライト
1953年生/牡/IK評価:1A級
主な勝ち鞍:日本ダービー、天皇賞、有馬記念

▸ 分析表

1956年(昭和31年)の日本ダービーをめざす4歳勢には、ハクチカラの他に、ヘキラク、キタノオーといった牡馬たち、そして牝馬のフェアマンナ(オークス馬)、トサモアー(菊花賞2着)など、個性的な馬が数多く頭角を現してきており、レベルの高い世代といわれていた。

ハクチカラは、北海道浦河のヤシマ牧場の生産で、冠「ハク」の馬名で有名だった西博氏が、当時の最高価格300万円で購入した。ちなみに、この時の日本ダービーの1着賞金は200万円だったので、同馬の価格は破格であった。当歳の頃から骨量のあるがっしりとした馬体が目をひき、将来を期待され、名門尾形厩舎に入厩した。

そして、ハクチカラは、期待通り、3歳時(旧表記)に6戦5勝。唯一の敗戦は、朝日杯の2着で、そのときの優勝馬がキタノオー。そして、4歳を迎え、クラシック第一弾の皐月賞では、そのキタノオーが1番人気となり、ハクチカラは2番人気になった。結果は、伏兵のヘキラクが、キタノオーを抑えて優勝。ハクチカラは、整腸剤の影響で体調を崩し、12着と惨敗。

そして、本番のダービーは、雨で重馬場となり、ここでも1番人気はキタノオー。2番人気にヘキラクが続き、ハクチカラは3番人気と、皐月賞での敗戦にも関わらず、上位の支持を受けていた。レースは、好枠(4番)に恵まれたハクチカラが、道中無難に5、6番手の位置取りでレースを進め、キタノオーに3馬身差をつけて優勝。

鞍上の保田騎手に、初のダービー・ジョッキーの栄冠を贈ることにもなった。ちなみに、このレースには、「武蔵」の原作者である作家・吉川英治氏の持馬エンメイが出走しており、氏は馬主席の最前列に陣取って、愛馬に声援を送っていた。しかし、そのエンメイは、スタートして間もない200mほどの地点で、馬群に包まれて落馬してしまった。エンメイは予後不良、騎乗していた阿部騎手も、生死の境をさまようほどの大怪我をした。それ以降、競馬場のスタンドに、吉川英治氏の姿を見ることは二度となかったという。

ハクチカラは、4歳秋になって、菊花賞はキタノオーの5着。そして、この年から、府中のダービーに対抗して、中山のイベントとして創設された第1回中山グランプリ(=有馬記念)も、メイジヒカリの5着の敗れ、4歳時の戦績は11戦6勝に終わっている。

5歳時の前半は、目黒記念や日経賞を制したものの、安田賞(=安田記念)はヘキラクの2着、ニューイヤーSは牝馬のフェアマンナの3着というように、もうひとつ勝ち味の遅さを見せていた。しかし、5歳秋になると、目黒記念、天皇賞、有馬記念を連覇し、名実ともに古馬の頂点に立つことになった。

そして、6歳になって、いよいよ日本馬の代表の期待を担って、海外遠征に向かうことになる。コンビを組んできた保田騎手を鞍上に、夏の間に、アメリカのハリウッドパークとデルマー競馬場で、1600m~2600mのレースを5戦したが、いずれも最下位、あるいはブービーという成績で、結果を残すことはできなかった。なお、この間の対戦相手には、ベルモントS馬のGallant Manがいた。

そこで、馬体の立て直しをアメリカの調教師に依頼し、保田騎手は日本に帰国した。このときには、馬は実績を残せなかったが、保田騎手のほうは、本場のモンキー乗りをマスターするという収穫があった。保田騎手が新しい騎乗スタイルを日本に持ち帰ったことで、以後の日本の騎乗レベルは大いに向上した。その意味では、ハクチカラの海外遠征は、日本競馬の歴史において、別の意味の成果をもたらしたといえる。

約3カ月の間、現地で調整されたハクチカラは、休養後に、持ち前の粘りを発揮するようになり、休養明け初戦のサンタアニタ競馬場での1800m特別戦では、2着と好走する。その後も、3着、2着、5着、4着と、入着を果たした。そして、1959年(昭和34年)2月に行われた2,400mの重賞ワシントン・バースデイ・ハンデは、16頭立ての芝レース。ここで、ハクチカラは、日本馬初の海外重賞制覇という快挙を成し遂げたのである。

ハクチカラチは、最軽量ハンデという恩恵を受けてはいたが、このレースには、1958年の米国年度代表馬であるRound Tableが出走していたということで、日本馬の勝利は、世界の競馬関係者の間でも、大きな話題になった。そして、ハクチカラチは、このレースを最後に引退し、種牡馬入りを果す。

《競走成績》日本国内で、3~5歳時に32戦20勝。主な勝ち鞍は、ダービー(芝2400m)、目黒記念2回(芝2500mと芝2600m)、日本経済賞(芝3200m)、毎日王冠(芝2600m)、天皇賞(芝3200m)、有馬記念(芝2600m)など。
 アメリカでは、6~7歳時に11戦1勝。勝ち鞍は、ワシントン・バースデイ・ハンデ(芝12F)。

父トビザクラは、日本産で、戦績は3勝。自身は重賞勝ちはないが、全弟のアズマライが菊花賞を制している。その父プリメロは、英国産のアイルランド・ダービー馬で、1936年に、種牡馬として日本に輸入されている。プリメロは、ミナミホマレ(ダービー)、タチカゼ(ダービー)、トサミドリ(皐月賞、菊花賞)、クリノハナ(皐月賞、ダービー)、ハクリョウ(菊花賞、天皇賞)など、数多くのクラシック・ウィナーを輩出し、戦前・戦後を通じて、日本の競馬に多大な功績を残し、Blandford系の血を日本に根付かせる最大の立役者になった。

それに対し、母昇城は、OrbyやRock Sandのスピード・スタミナを伝えるダイオライトの産駒で、その祖母星旗からは、ダービー馬クモハタが出ている。そのクモハタは、内国産種牡馬として大成功をおさめ、星旗の牝系としての評価はさらに高められた。

父トビザクラの配合は、St.Simon(=Angelica)の5・6・6×5・6の系列ぐるみを主導に、英ダービー、英セントレジャー、アスコットGCを制しスタミナにすぐれたPersimmonを強調し、たいへんしっかりとした血統構成を示していた。全弟のアズマライが菊花賞を制したことも納得でき、血統上の裏づけは十分にとることができる。

▸ トビサクラ分析表

そうした父母の間に生まれたハクチカラだが、その血統を見ると、全体をリードしているのがDesmondの5×6とIsinglassの6×5で、ともに系列ぐるみのクロス。両者は、Newminsterで結合を果たしている。次いで、Persimmonの6×7も、系列ぐるみでアシスト。Desmondとは、St.Simonで一体となる。これらは、いずれもスタミナ勢力として能力形成に参加している。

それに対し、スピードは、Orbyの5×5とCylleneの5×7だが、スタミナと比べると比率は低く、ハクチカラが明らかにスタミナ優位の血統構成であったことが読み取れる。とは言うものの、OrbyはAngelica(=St.Simon)と、CylleneはIsonomyやHermitによって主導と直結して、スピードを注入している。

また、かくし味として、当時の日本には珍しい、父内The Tetrarchのスピードも、Bona Vistaを通じて、StockwellやKing Tomによって主導と直結し、注入されている。このように、上質のスタミナを有したことが、異国の地でも、最後まで走り抜くタフネスさを生み、さらにスピード勢力との結合のよさが、3歳時からつねに上位で好成績を残せた要因になったことは、まず間違いない。

以上を8項目に照らすと、以下のような評価になる。
 ①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=○、⑥=□、⑦=○、⑧=◎
 総合評価=1A級 距離適性=9~12F

こうして血統構成を検証してみると、現代の日本馬には欠けているスタミナの核が、血統全体にゆき渡っていることが読み取れる。といっても、現代の馬と比較してスピードが不足しているわけではない。確かに、時計だけの比較でいえば、ハクチカラは、国内の1,800m戦で1分50秒を切ることはなかった。しかし、アメリカに渡り、現地の調教師の手にゆだねられた後は、1着馬のタイムが当時の日本では考えられない時計の1分47秒4という1,800mのレースで、2着と健闘している。

こうした例を考えると、レースの時計は、馬場差による影響で大幅に変わるものであり、また鍛練の技量によっても、素質の開花度にそうとうの差が生じるということを、改めて思い知らされる。いずれにしても、ハクチカラの血統構成は、現代においても十分に評価されるべきもので、名馬の名にふさわしい内容を持っていたことは確かである。

ハクチカラは、1962年(昭和37年)に種牡馬入りを果たし、当初、ハクフォード(12勝)などの産駒を出したが、総体的な実績では伸び悩んだ。そして、時代背景としても、昭和33年頃から、それまでの内国産種牡馬の上位にいたクモハタやトシシロに代わって、ライジングフレームなどの輸入種牡馬が、リーディングの上位を占めはじめていた。ちなみにハクチカラの初年度産駒が生まれた昭和38年のリーディング上位を見ると、1位ヒンドスタン、2位ライジングフレーム、3位ゲイタイム、4位ハロウェーと、輸入種牡馬が上位を独占していた。こうした時代背景もあって、ハクチカラは、昭和43年に、種牡馬としてインドに寄贈されている。

ハクチカラが海外で闘ったRound TableやGallant Man、あるいはその他同時代のSwapsやRibotといった血が、脈々と現代に伝わっていることを考えると、ハクチカラの不振はいささか寂しい気がする。それというのも、ハクチカラには、Friar Marcus、Orby、そしてThe Tetrarchといったスピードの血が内包されており、さらに現代で求められるている特殊な米系の血、すなわちWhisk BroomやMan o’Warに通ずるRock Sandも配されていて、後のスピード競馬に対応できる要素を持ち合わせていたからである。

インドのカルカッタで、トーカイドーエクスプレスというクラシックホースを出したことは、せめてもの救いであった。ちなみに、ハクチカラには、ヤシマキーパーという全妹がいて、それがクイーンC、札幌記念、サファイヤSなどの重賞を制したサンエイサンキュー(父ダイナサンキュー)の曾祖母として、スピード・スタミナの能力形成に参加していた。

最後に、前述したハクチカラの同期、および海外で戦った主な馬について、8項目評価をしてみたので、分析表と合わせて、参照していただきたい。

■ヘキラク(皐月賞)
 ①=□、②=□、③=○、④=□、⑤=□、⑥=○、⑦=□、⑧=□
 総合評価=3B級 距離適性=8~10F
 Sundridgeを主導としたスピード優位の配合馬。

▸ ヘキラク分析表

■エンメイ
 ①=□、②=△、③=○、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=□、⑧=□
 総合評価=2B級 距離適性=9~11F
 位置関係から血の集合は不明確だが、弱点なく、堅実性は備えている。

▸ エンメイ分析表

■フェアマンナ(オークス)
 ①=○、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=○、⑦=○、⑧=○
 総合評価=1A級 距離適性=9~12F
 Orbyの呼び水に、Sundridgeのスピード、Persimmonのスタミナを備え、女傑の名にふさわしい配合馬。

▸ フェアマンナ分析表

■Round Table(米年度代表馬)
 ①=◎、②=○、③=◎、④=○、⑤=□、⑥=○、⑦=○、⑧=○
 総合評価=2A級 距離適性=9~12F
 St.Simon-Galopinを核に、強固な結合はみごと。

▸ Round Table分析表

 

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