久米裕選定 日本の百名馬

キタノオー

父:トサミドリ 母:バウアーヌソル 母の父:トウルヌソル
1953年生/牡/IK評価:1A級
主な勝ち鞍:菊花賞、天皇賞・春

▸ 分析表

【久米裕選定 日本の百名馬 羽鳥昴・補完その3】

百名馬を補完する3頭のうち、エイシンワシントンとチョウカイキャロルについては、何の迷いもなくすんなりと決まった。しかし、最後の1頭をどの馬にするかについては、すでに多くの活躍馬や顕彰馬が取り上げられていたこともあり、なかなか名前が浮かんでこず、実際のところ候補馬選びは難航していた。

最初に顕彰馬で取り上げていない馬を確認してみると、その中にはマルゼンスキーとウオッカがいた。両馬は百名馬の中ですでに血統解説はされていたが、それは主役としてではなかった。どちらも、日本の百名馬に取り上げられるべき功績を残した優駿であり、本来ならこの2頭のうち、一方を選ぶのが筋だったろう。

しかし、である。久米先生がかつてスクラムダイナを百名馬の1頭に推奨したように、ここは敢えて違う馬へスポットを当ててみたらどうだろうという気持ちが沸き上がり、最終的にそれがこの馬へと行きついた。

キタノオー。日本馬で初めて海外のレースへの挑戦を試みたハクチカラのライバルの1頭にして、その母系は「サラ系」という活躍馬――オールドファンなら一度は聞いたことのある名前である。

サラ系とは、かつて日本に輸入された「血統の一部が不明な馬」の呼称で、純粋のサラブレッドとは認められず、サラブレッドに準ずるサラブレッド系種という扱いを受けている。キタノオーも、血統登録上は祖母バウアーストックの部分が公式には不明であり、本来その分析表上では父とBMSまでの3/4までしか窺い知ることができない。つまり公式の血統を基に作成したキタノオーの9代分析表はあくまで1/4が空欄となったものでしかない。

まずは、キタノオーの戦績をご紹介しよう。同馬は、札幌の条件戦(ダ900m)でデビュー勝ちし、2戦目の札幌S(ダ1200m)は2着。3戦目で中山のオープン戦(芝1000m)を勝利し、続く4戦目の三歳馬優勝戦(芝1100m)で、初めてハクチカラと対戦するが、結果はハクチカラの3着と敗れた。

その後2連勝を挙げたキタノオーは、関東の3歳王者決定戦である朝日盃3歳S(芝1100m)に駒を進め、ここで再びハクチカラと顔を合わせることになる。当然ながら、圧倒的な一番人気はハクチカラで、キタノオーは離れた2番人気に甘んじていた。レースはハクチカラが先頭に立ち、キタノオーはそれを見る形で追う展開となり、最後の直線での競り合いの末にキタノオーがハクチカラを3/4馬身退けて優勝した。これにより、キタノオーはその年の最優秀3歳牡馬に選出された。

3歳(旧4歳)となったキタノオーは、初戦、2戦目のスプリングSを快勝、続くオープン戦では3着と敗れはしたが、59kgの斤量を背負っていたこともあり、特に評判を下げることもなく、クラシック初戦の皐月賞を迎えた。そこでは、キタノオーは、2番人気のハクチカラを引き離して断然の1番人気に推されていた。しかし、中山競馬場の改築により東京競馬場で行われ、外枠不利と言われた当時の東京コースで16頭立ての15番枠からのスタートとなったことで、強引に好位を進んだものの、最後は7番人気の伏兵ヘキラクに差され、1・1/4馬身差の2着に敗れてしまう。

同レースでは、ライバルのハクチカラも12着と大敗したが、これはのちに若い馬手(現在の厩務員)が尾形調教師の許可を取らずに整腸剤を投与したことで逆に調子を崩していたことが判明している。

キタノオーは、二冠目のダービーに向けて、前哨戦のNHK杯に出走した。ここには、皐月賞馬ヘキラクも出走してきていたが、難なく同馬を破り、レコードタイムでこれを制した。しかし、迎えた本番では、外枠25番からの発走となり、1コーナーでキタノオーとヘキラクが急に内側に斜行した煽りを受けて2頭が落馬、このうちの1頭エンメイが重度の骨折で安楽死、騎乗した阿部騎手も復帰不可能なほどの重傷を負うというアクシデントがあった。レースは、結局最終コーナーで内を突いたハクチカラが一気に抜け出し優勝、キタノオーは3馬身差の2着に敗れた。

キタノオーは、そのまま夏シーズンを休養に充て、秋は最後の一冠である菊花賞を目標に、毎日王冠から始動した。毎日王冠では久々の実戦ということもあり4着に敗れたが、続くセントライト記念では、毎日王冠で敗れた相手である牝馬フェアマンナやハクチカラらを一蹴して勝利、菊花賞前の前哨戦・京都特別では62kgの斤量を背負い2着と健闘し(勝ち馬ミナトリュウは56kg)、本番へと臨んだ。そして、同レースでは1番人気に推され、後方待機から、逃げ込みを図るトサモアーを差し切り、見事最後の一冠を奪取することができた。

その年の暮れには、改修工事が終わった中山競馬場において、第1回中山グランプリが開催されることになった。これが、その時の日本中央競馬会理事長・有馬頼寧の提案で作られたファン投票により出走馬を選出するオールスター競走、のちの有馬記念の始まりであった。そして、キタノオーは6143票を集め、最初の第1位選出馬の座に輝いた。

その他の出走メンバーも、ハクチカラ、ヘキラク、フェアマンナといった3歳(旧4歳)クラシック優勝馬のほか、古馬勢も菊花賞と天皇賞・春を制したメイヂヒカリ、皐月賞と菊花賞、天皇賞・春を制し、「褐色の弾丸列車」と呼ばれたダイナナホウシュウ、オーストラリア産の天皇賞優勝馬ミッドファームらが顔を揃え、出走馬12頭中7頭が八大競走勝ち馬ということから史上空前の豪華メンバーと呼ばれたらしい。

当日の1番人気は、ファン投票で12票差の2位だったメイヂヒカリで、キタノオーは2番人気であった。レースは、ダイナナホウシュウが逃げ、キタノオーはメイヂヒカリをマークし、中団4、5番手の位置を追走した。しかし、最後の直線ではメイヂヒカリに離されてしまい、同馬が先頭でゴールを駆け抜けた。キタノオーは3馬身半離されてはしまったものの2着を守り入線、そこから2馬身差の3着にミッドファームという結果であった。同期のハクチカラは5着、ヘキラクは12着と大敗していたこともあり、キタノオーが次世代の最強馬になるという印象をファンに見せた一戦となった。

キタノオーは、有馬記念後、春まで休養に入り、3月の目黒記念から始動したが、ここではハクチカラより2kg重い63kgという斤量もたたったのか、結果はハクチカラから2馬身差の2着であった。

4月の天皇賞・春は、完調のキタノオーには勝てないとローテーションを変える馬が続出し、7頭立ての少頭数で行われたが、これを当時のレコードタイムで制し、ハクチカラが不在とはいえ、やはりその強さを見せつけた。

夏を休養に充てたキタノオーは、10月のオールカマーで、再びハクチカラと対戦する。このレースには、当時「アラブの怪物」と呼ばれ、サラブレッド相手に好走していたセイユウも出走し、セイユウの逃げで始まったレースは、キタノオーがハクチカラを半馬身差で退けた。しかし、ハクチカラも負けてはいなかった。続く目黒記念・秋では、結果が入れ替わり、ハクチカラの方が半馬身差でキタノオーに競り勝った。

両馬は、中山グランプリから有馬記念に名称が変わった暮れの中山で再度雌雄を決する予定だったが、キタノオーが直前に故障で回避となったため、その対決は幻に終わり、翌年、ハクチカラがアメリカへと遠征の旅に出たため、両馬はそれから一度も対戦することはなかった(有馬記念の結果は、ハクチカラが優勝)。

翌年の春、怪我の癒えたキタノオーは、復帰戦のオープンこそ制したが、続く東京盃で格下馬相手に2着と敗れ、そしてそれから一カ月後のオープン戦でも前年の菊花賞馬ラプソデーに敗れ、いま一つ精鋭を欠いたまま、夏を全休し、馬体の回復に充てた。しかし、10月になり復帰のため北海道から中山競馬場への輸送途中で急性肺炎を発症し、そのまま手当ての甲斐なく10月14日に急死してしまう。

ライバルのハクチカラが、その翌年、日本馬として初めて米重賞を制し、凱旋できたのに比べ、何とも悲しい幕引きであった。

《競走成績》
29戦16勝、天皇賞・春、菊花賞、朝日盃3歳S、有馬記念――2着(1着メイヂヒカリ)

キタノオーは、百名馬の中でも、ハクチカラや1歳上のメイヂヒカリなどの項で、たびたび名前を取り上げられてはいたが、1/4の血統が不明ということもあり、これまでにその血統評価が語られることはなかった。しかしながら、実は、オーストラリアン・スタッドブック第14巻に記載のあるBrown Meg(父Baverstock、母Frivolity)という牝馬が、血統不明のバウアーストックと同一とする見解がある。

これについては、海外の老舗血統サイトでBrown Megを検索するとやはり同様の記載があり、日本に送られた後、父の名であるバウアーストックと名前を変更され(毛色も鹿毛から黒鹿毛へと変更)、平地で12勝障害10勝を挙げで活躍をしたとなっている。また、そのサイトの備考には、以下のようなことも記載されている。

「The Imperial Racing Society(当時の帝国競馬協会を指す)」が「所有者(Brown Megの日本でのオーナーのこと)」にJapanese Stud Book(以下J.S.B)への血統登録を行うよう申し出たが、所有者がそれを拒否したため、同馬はJ.S.Bから締め出されてしまった。しかし、同馬は輝かしい”ノン・サラブレッド”のファミリーラインを築いた。

どうやらことの顛末は、何らかの事情で協会の定められた期限までに血統登録を行わ(え)なかったことにより、Brown Meg(=バウアーストック)は血統不明のサラ系として登録される憂き目に遭ったということのようである。さらに現在では、このバウアーストックは純粋なサラブレッドであったという説がかなり有力視されている。

実はそれを裏づける資料も現存している。国立国会図書館のデジタルコレクションに保管されてる当時の帝国競馬協会の競走成績書の写しには、確かにバウアーストツク(濠(=豪)サラ・父バヴアストツク、母フリヴオリチー)と父母名もはっきりと記載されており、これはBrown Megの父母を当時のカタカナ読みにすればそのままである。それは、私自身も実際にこの目で確認することができた。ここまで、血統情報の裏づけがあれば、キタノオーの祖母バウアーストック=Brown Megであったという説にはかなりの信憑性がある。そこで、今回、キタノオーの血統を改めて復元し、解説してみることにした。

まずは、同馬のバックボーンとなる、父母、そして今回の原稿のキーホースともいえる祖母バウアーストックについて見てゆこう。

父トサミドリは、プリメロ産駒で日本初の三冠馬セントライト(父ダイオライト)の8歳下の半弟にあたり、小岩井農場の基礎牝馬となった母フリッパンシーのラストクロップでもあった。

半兄セントライトは国内初の三冠馬となったが、Rock Sandの3×4、Donovanの4×4、Ormeの5×5、St.Simonの5×4など、種類の異なるクロス馬が前面で派生し、強力な主導に欠ける面のある血統構成馬であった。ただし、それらの血はGalopinにより近い世代で結合しており、血の結合力に良さのある内容で、それが三冠を達成できた能力源であった。

対するトサミドリは、Galopinを伴うSt. Simon(=Angelica)6・5・6×6・6・4がKing TomやGalopinの父系Voltigeurなどを傘下に収め、ほぼ系列ぐるみとなり全体をリードした配合で、スタミナ優位の中にもOrmeからスピードを補給した兄よりも、さらにスタミナ優位の内容であった。また、その土台構造はStockwell(=Rataplan)が25個、2頭の母Pocahontasが24個配置され、そのPocahontasによりSt. Simonと直結していることも見逃してはならない。

また、トサミドリは、兄セントライトが重い斤量を背負うのをオーナーサイドが嫌って早期に種牡馬入りしたのとは対照的に、71kgを背負ってレコード勝ちしたこともあり、非常にタフでしぶとい馬であった。それは、9戦無敗でアスコットゴールドC(20F)など長距離を制したSt. Simonを主導としたことと共に、土台構造を支えるRataplanの影響をも色濃く受けたことが血統的な背景の1つにあると推測できる。同馬は、82戦42勝という競走生活を送ったあとに、種牡馬入りした非常に屈強でタフな馬だったそうである。

同馬の血統構成を8項目評価すると以下のようになる。

 ①=〇、②=□、③=○、④=○、⑤=③⑦⑩⑪ □、⑥=〇、⑦=〇、⑧=□
 総合評価=1A級 距離適性=10~16F

▸ トサミドリ分析表

母バウアーヌソルは、「ハレヤカ」という競走名をもってはいるが、不出走のまま繁殖入りした。公式の血統表では母の部分が空欄のため、影響度やクロス馬ももちろんすべて「0」となってしまう。したがって、バウアーヌソルより先に、まずは、鍵となるバウアーストックについて、バウアーストック=Brown Megであったとして、その分析表を検証してみよう。

▸Brown Meg分析表

同馬の分析表の中でまず目につくのは、Galopinを伴うSt. Simon4×3の近親クロスである。これは、Galopinの父Vedetteが断絶し多少影響が弱まり、その中に、BirdcatcherやBay Middleton-Sultan、Blacklockといった主要なクロス馬を集約させる役割として、有効に作用している(これは、St. Simonが長距離のスタミナを有していたこともあり、現在のクロスのイメージにわかりやすく置き換えると、Northern Dancerを伴うSadler’s Wellsあたりがしっくりとくるだろう)。

また、祖母内にも、GalopinとVoltigeurが配置され、強調されたBMS=Charlemagne内St. Simonへと能力参加を果たしていることが読み取れる。さらに、Barcaldine4×5の中間断絶は、Barcaldine自身が愛レイルウェイSやナショナルS勝ちの愛スプリンターであるものの、その中のクロスはWest Australian(英国最初の三冠馬)やBirdcatcher(14FのピールS勝ち馬、愛大種牡馬)、Stockwell(=Rataplan)などで、意外にスタミナ要素が強く、なかなかスタミナに良さのある内容であった。

惜しまれるのは、父の母Wakefulの部分にGalopin系の血がなく、やや血の流れが異なること。とはいえ、それはあくまで上位レベルでの話であり、Touchstone(24個)の土台構造に支えられた、しっかりとした血統構成のもち主であったことが伺える。

8項目評価では以下とおり。
 ①=□、②=□、③=◎、④=○、⑤=⑪⑥⑬⑦ □、⑥=〇、⑦=□、⑧=□、
 総合評価=3B級 距離適性=9~12F

そして、このBrown Megを母とみなして、いま一度バウアーヌソルの分析表を作成してみたのが別紙のバウアーヌソル(仮称)のとおりである。

▸バウアーヌソル(仮称)分析表

まずはそれをご覧いただこう。St. Simonの仔Bill of Portland4×4(系列ぐるみに近い)で全体をリードしているが、同時にTrenton4×4の中間断絶も派生し、少し近親度が強い内容であった。この両者の結合は、8代以降のSir HerculesやTouchstoneまで遡らなければならず、血の結合もそこまで良好とは言えない。また、Bill of Portlandと同位置で、祖母内St. Simonの影響も強く、血の位置関係にもちぐはぐな面のある内容であった。したがって、仮に競走馬としてデビューしていたとしても、調整が難しく、勝ち味に遅いタイプとなった可能性が高い。

しかしながら、理論からの見解で、繁殖牝馬として同馬を見ると、印象は一変する。同馬の中には、St. Simon-Galopin、Voltigeurでまとめやすい構造が造られており、同じSt. Simonの流れをもつ種牡馬を配することで、バウアーヌソル自身に欠けていた主導を明確にし、St. Simonに血を集約していたBrown Megの特徴をも再現することが可能となるのである。

冒頭でトサミドリについて解説したが、同馬はまさにSt. Simonのスタミナを受け継いだ馬であった。トサミドリと復元されたバウアーヌソル――St. Simonの流れをもつ両者を配したのが、まさに「本来」のキタノオーなのである。

▸キタノオー(仮称)分析表

実際に復元されたキタノオー(仮称)の分析表を見てみると、St. Simon6・7・7・5・7・7×6・6・5・6で全体をリードし、St. Simonとその父Galopinが祖父母4頭内にまんべんなく配置され、Stocwell(=Rataplan)が土台構造を支えた、なかなか見事な実質異型交配馬であったことがわかる。また、「47」という少ないクロス馬で全体をまとめられ、かつその結合状態が良いことも同馬の特徴で、St. Simonが土台へと移行し始めた形態も読み取れる。

8項目評価では以下のとおり。

 ①=◎、②=○、③=〇、④=○、⑤=②⑧⑦⑤ □、⑥=実質40台前半 ○、⑦=○、⑧=□ 
 総合評価=1A級、10~16F

ただし、豊富なスタミナに対して、スピードはHermitなどが奥まった位置にあるだけで、それが惜しまれるところである。ライバルのハクチカラが当時としては珍しく、Orbyなどからスピードのアシストを受けたスピード・スタミナ兼備の配合であったことを考えると、キタノオーは父トサミドリのイメージを受け継ぐスタミナ優位のタフなステイヤー配合で、2頭のライバルは配合内容もまた対照的であった。

ちなみに、キタノオーには全弟のキタノオーザがおり、同馬も菊花賞を制しているが、サラ系というレッテルの影響のためか、種牡馬入りした形跡は残っていない。

しかし、仮復元されたこの分析表から言えることは、まさに両馬は一流馬と呼ぶに相応しいしっかりとしたスタミナを有していた可能性が高いことである。そして、もしもバウアーストックの血統書が存在していたなら、2頭ともおそらく種牡馬入りできたはずである。たらればではあるが、2頭のどちらかが種牡馬として血を残せていたら、そのスタミナが縁の下の力持ち的な役割を果たすような、当時としては優秀な配合をもう少し目にしたかもしれない。

というのも、両馬の間にはキタノヒカリという全兄弟の牝馬がおり、同馬の産駒キタノダイオー(父ダイハード)が7戦無敗で種牡馬入り、また別の産駒アイテイオー(父ハロウェー、優駿牝馬勝ち馬)を祖母に持つヒカリデュールが年度代表馬に選出されるなど、兄弟の果たせなかったその血を繋いでいたという事実があるからである。

最後に、そのヒカリデュールについても解説してみたい。

同馬については、バウアーヌソルの部分が5代目まで後退していることもあり、不明部分は1/16にまで減っている。したがって、その部分にたとえ不備を抱えていても、残りの15/16の部分がしっかりしていれば、能力発揮は可能だったとは思われる。

しかし、せっかくバウアーヌソル=Brown Megというほぼ真実の仮説が存在するわけなので、今回はヒカリデュールについても、すべてを復元したヒカリデュール(仮称)の分析表を作成してみた。

▸ヒカリデュール(仮称)分析表

Pharos(=Fairway)5×4がPhalaris、Chaucerを伴い全体をリードした形態で、これにDark Ronald7・8×6の系列ぐるみが続き、ハロウェーが強調されている。ハロウェー自身は、半兄弟にDanteとSayajiraoがいる血統を買われて日本で種牡馬入りしたが、自身の血統構成は優秀な2頭には及ばなかった。

ヒカリデュールも、そうした面で、ハロウェーを強調したことは必ずしも万全とは言えないのだが、その中のChaucerやSt. Simonなどがクロスになり、しっかりとスタミナ勢力として作用していることは読み取れる。また、Blandfordからもスタミナのアシストを受けており、この血はCanterbury Pilgrimを通じて、Chaucerと結合するなど、血の結合状態も良好である。さらに、スピードはOrbyやSundridgeなどからアシストを受けており、スタミナ優位の中にもスピードを有したしっかりとした配合だったことがわかる。そして、バウアーストック(=Brown Meg)の部分に目をやると、能力参加としてはすでに奥まった位置ながら、St. Simon、Galopinが配置され、土台構造を支えている。

8項目評価では、

 ①=〇、②=○、③=□、④=○、⑤=④④④⑧ 〇、⑥=□、⑦=○、⑧=〇
 総合評価=1A級、9~12F

ヒカリデュールは、当初地方でデビューし、のちに中央入りして有馬記念を勝ち、年度代表馬にも選出された。その活躍を縁の下の支柱の1つとして支えていたのが、バウアーストックの血ということがおわかりいただけるはず。

同馬は、その実績から種牡馬入りしたものの、やはり「サラ系」の運命から逃れることができず、少ない繁殖しか集まらなかった。また、現在のような功労馬制度もない時代でもあったため、悲しいかな種牡馬引退後の行方もわかっていない。

いわゆるサラ系は他にも「ミラ系、天の川系」などが有名で、実際にずいぶん後の話だが、その血統を調査しようとした試みはあったらしい。しかし、あまりにも前のことで、結局現地オーストラリアにも資料は残っておらず、サラ系はサラ系のままとなってしまった。

ちなみに、現在ではサラ系に8代目までサラブレッドを配した場合、サラブレッドに昇格できるという救済制度が作られている。よって、おそらくサラ系の繁殖の末裔が残っていたとしても、さらに世代が進み、現在ではサラブレッドとして扱われているはずである。

しかしながら、サラブレッドの血統が完璧に整備される以前のこととはいえ、バウアーストックにはその血統が記載された書物が残されているだけに、同馬とその子孫に呪縛として降りかかった「サラ系の悲劇」は、本当に不運だったと言わざるを得ない。今回、復元されたキタノオーの血統構成の優秀さを考慮すると、なおさら惜しまれて仕方がない。

 

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