久米裕選定 日本の百名馬

メジロアサマ

父:パーソロン 母:スヰート 母の父:First Fiddle
1966年生/牡/IK評価:1A級
主な勝ち鞍:天皇賞・秋、安田記念

▸ 分析表

メジロアサマは、パーソロンの2年目の産駒として、昭和41(1966)年、北海道日高のシンボリ牧場で生産された。3歳時は、弥生賞3着などの実績は残したものの、クラシック本番ではさほど期待もされず、ダービーでは28頭立ての9番人気で(1番人気は落馬したタカツバキ)、ダイシンボルガードの16着に敗れている。

昭和45年発行のサラブレッド血統センター『競馬の血統入門』には、パーソロンの評価として、つぎのような内容が記されている。

《パーソロン産駒は、スプリンターが多いのが特徴である。仕上がり早で、レースを使われながら良くなっていくというプラスアルファがあまり見込めない。馬格のなさも手伝って産駒の大成をさまたげている。スピードはあるが競られると弱く、ダートは得意でない。》

こうした血統評も影響してか、メジロアサマはそれほど注目される存在ではなかった。しかし、ダービーを終えた同馬は、夏の北海道でダート2000mの大雪Hを制し、函館記念(芝2000m)も2着。古馬となった4歳でも、安田記念、函館記念と重賞を制し、着実に力をつけていった。そして、駒を進めたのが、秋の天皇賞3200m。

しかし、戦前の予想では、ここでも父パーソロンの距離的限界説が論じられ、5番人気と評価を下げた。1番人気は、前年に同期で菊花賞を制したアカネテンリュウ、そして2番人気には持込良血で、「悲運の馬」と評されていたフィニイが続く。

レースは、淡々とした流れで進み、メジロアサマは好位を追走、直線早めに先頭に立った。そして、フィニイとアカネテンリュウの人気両馬の追撃を退けて優勝。血統的不安をものともせず、みごとに古馬の頂点に立ったのである。

しかし、血統に関しては、このレース後もマイラーとの評価は変わらず、「マイラーでも、レースの流れにさからわず、自然に乗れば、長距離は克服できる」という、調教師や競馬評論家たちの意見がまかり通り、3200mを克服したことは例外的にとらえられていた。

そんな評価に反発するように、5歳をむかえたメジロアサマは、重賞勝ちがアルゼンチンJCC(芝2500m)、アメリカJCC(芝2400m)など、すべて2000m以上の距離であげ、引退レースとなった有馬記念でもイシノヒカルの2着と好走し、無類の堅実性を発揮した。このメジロアサマの実績によって、父パーソロンに対する距離評価が、短距離から「万能」へと変わり、早熟というイメージも消えていった。種牡馬としての評価も急速に高まり、交配される牝馬の質も、必然的によくなっていったのである。

《競走成績》
2~6歳時に走り48戦17勝。主な勝ち鞍は、天皇賞・秋(芝3200m)、安田記念(芝1600m)、函館記念(芝2000m)、アルゼンチンJCC(芝2500m)、ハリウッドターフクラブ賞(芝2400m)、アメリカJCC(芝2400m)など。2着―宝塚記念(芝2200m、1着=メジロムサシ)、有馬記念(芝2500m、1着=イシノヒカル)など。

《種牡馬成績》
昭和48年から種牡馬入りしたが、精子の異常から、受胎率が極端に低く、最初の2年間(昭和49~50年)は産駒数0。3年目の昭和51年になってたった1頭生れたのが、白藤賞など6戦4勝の成績を残したメジロエスパーダ。そして、その2年後の昭和53年に生れた3頭の中の1頭が、メジロマックイーンの父となるメジロティターン(天皇賞・秋=3200m、日経賞=2500m、セントライト記念=2200m)。まさに奇跡ともいえる確率で名馬を世に送り出し、その父系はメジロマックイーンに受け継がれている。

父パーソロンは、1960年アイルランド産で、昭和38年の12月に種牡馬として日本に輸入された。競走成績は14戦2勝で、競走馬としては二流の実績といえる。また、自身の血統構成も、その成績から推測されるように、主導の明確性を欠き、これぞという個性にも欠ける内容であった。そのかわり、当時としては、繁殖側に徐々に浸透しつつあったPharos系の血や、スタミナのDjebelを配していた。

そして何よりの特徴は、スピードのMumtaz MahalとThe Tetrarchを含んでいたこと。また、当時すでに日本に根づいていたBlandford系とGainsborough系のうち、両方を含めずに、Blandford系のみを備えていたことは、シンプルな構造の配合形態を実現する上で、つごうがよかった。さらに、土台となるSt.Simon、Bay Ronaldが、7~8代に配されていたことも、時代の趨勢にマッチしていた。

それともう一点あげれば、米系のFair Playの母Fairy Goldを6代目に1つだけもっていたことも見逃せない。このたった1つの血が、わずかでも後の米系対応に役立てられたことは、血統の妙味として、記憶しておいていただきたい。その事例としては、欧州系主体のシンボリルドルフに対し、母方にNorthern Dancerなど米系を含む産駒のトウカイテイオー、キョウワホウセキ、アイルトンシンボリらが、弱点・欠陥を派生させずに済んだことがあげられる。

母スヰートは、米国産の2勝馬。昭和28年、当時としてはたいへん珍しく、Man o’WarやBlue Larkspurなど米系の血を主体とした繁殖牝馬であった。とはいっても、6~8代目の位置には、Bend Or、St.Simon、Hamptonなどが配されていて、欧州系の種牡馬と交配しても、弱点・欠陥が派生する確率は低い。当時Blandford、Gainsboroughによって片寄りを見せていた日本の血を浄化させる効果を、十分に期待することができる形態を備えていた。

また、スヰートの母Blue Eyed Momo(Buckpasserの母Busandaとは同血)に見られる米系の血は、現代流行のHail to Reasonなどに含まれる血とも共通性を持っている。偶然とはいえ、まさに現代を先取りした内容を持ち、この母スヰートの存在こそが、メジロアサマ・メジロティターン・メジロマックイーンの親仔3代天皇賞制覇を実現させた血統的要因であり、その意味では「影の功労者」といっても過言ではない。

そうした父母を持つメジロアサマだが、その血統を見ると、まず主導は、位置と系列の関係からSwynford(=Harry of Hereford)の6・7・6×5・6の系列ぐるみ。Swynford自身が、14Fのセントレジャーを制していること、そしてそこに直接結合しているIsinglass(英三冠馬)が系列ぐるみとなってスタミナの核を形成し、メジロアサマの能力形成の基礎を築いている。

次いでTeddyが、St.SimonとGalopinによって主導と結合し、スタミナを注入。そして前述したFair Playの母であるFairy Goldが7×6の系列ぐるみとなり、Galliard-Galopin、Bend Or-Doncasterらを包含して主導と結合。この系統は、スピードのThe TetrarchとBend OrやGalliardと結合を果たし、間接的に主導のSwynfordへスピードを注入させる役割を果たしている。

その他にもSunstar-Sundridgeが、Pilgrimageによって主導と結合を果たし、スピードを補給しているので、まさにスピード・スタミナ兼備の血統構成を完成させている。

以上を8項目で評価すると以下のようになる。
 ①=○、②=○、③=○、④=○、⑤=○、⑥=□ ⑦=○、⑧=○
 総合評価=1A級 距離適性=8~12F

このようにメジロアサマの配合内容を検証していくと、当時のパーソロン評とはまったく逆の「晩成中長距離」傾向を示していたことがわかる。つまり、3歳クラシック戦線での成績は、むしろ血統未開花によるもの。天皇賞・秋を制したことが、配合によって形成された能力を開花させた姿、というのがIK理論から見た判断になる。

種牡馬としてのメジロアサマは、前述のとおり、精子の不足という生殖機能の疾患によって、産駒頭数が年間1~3頭と極端に少なかった。それでも、メジロティターン、メジロエスパーダという個性的な優駿を出すことができたのはなぜか。それを血統的要因に求めるとすれば、以下の特徴をあげることができる。

 ①8~9代におけるSt.Simon、Hampton、Bend Orといった、当時血を結合させる上で
  重要な血を、要所に配していたこと。
 ②スピードのTetratema-The Tetrarch、スタミナのBlandford、Tourbillonらが、
  ちょうどよい位置で能力形成に影響を与えたこと。
 ③War Admiralなど米系の血にも対応できる要素をいち早く備え、バランスよく血の入れ替え
  が完了していたこと

そして、それらの要素がみごとに結実した産駒が、以前にこの「百名馬」でも紹介したメジロティターンであり、またスピード馬として個性的な走りを見せたメジロエスパーダだったのである。参考までに、両馬の分析表を掲載してあるので、検証して見ていただきたい。

■メジロティターン
 ①=◎、②=○、③=◎、④=○、⑤=○、⑥=□ ⑦=◎、⑧=◎
 総合評価=2A級 距離適性=9~16F

▸ メジロティターン分析表

■メジロエスパーダ 
 ①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=○、⑥=□ ⑦=□、⑧=□
 総合評価=3B級 距離適性=8~10F

▸ メジロエスパーダ分析表

メジロエスパーダは、メジロティターンとの比較では数段劣るがPharosを呼び水に、The Tetrarch、Lady Josephine、Mumtaz Mahalといったスピード要素をみごとに再現した、個性的な血統構成であったことは、十分に読み取れる。

最後に、メジロアサマと同期の馬たちの血統についても、簡単に触れておこう。メジロアサマの同期馬(1966年生)といえば、皐月賞がワイルドモア(父ヒンドスタン)、ダービーがダイシンボルガード(父イーグル)、そして菊花賞がアカネテンリュウ(父チャイナロック)。

アカネテンリュウについては、この「百名馬」ですでに解説しているが、その稿で、ダイシンボルガードや、ダービーを1番人気で敗れたタカツバキを検証している。それらのいずれの馬と比較しても、理論上からは、メジロアサマの血統構成が最上位にランクされる。そのことは、後に種牡馬になってからの成績や、親子3代天皇賞制覇という実績によっても、証明されていると思う。

そこで、ここでは当時の日本では珍しかった血を持つ馬で、メジロアサマが勝った天皇賞で2着になったフィニイの血統構成を紹介しておきたい。

■フィニイ
父Cohoes、母ラニザナの持込馬で、1964年に千葉の社台ファームで生産されている。皐月賞がリュウズキの3着で、ダービーはアサデンコウの8着と敗れたが、後に京都記念やハリウッドターフクラブ賞などを制した。そして、フィニイの実績としてファンに記憶されていることといえば、天皇賞における成績だろう。1968年の秋が2着(1着ニットエイト)、1969年秋3着(1着メジロタイヨウ)、1970年春2着(1着リキエイカン)、そして同じ70年秋がメジロアサマの2着と、すべてのレースで善戦しているものの、ついに天皇賞馬の栄誉には、あと一歩届かなかった。それゆえに当時、フィニイは「悲運の名馬」ともいわれた。

 ①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=△、⑥=○ ⑦=□、⑧=○
 総合評価=3B級 距離適性=9~12F

▸ フィニィ分析表

父のCohoesは、タイキシャトルの父Devil’s Bagの母方に配されていたり、サクラチトセオーの母サクラクレアーないのQuadroungle(ベルモントS馬)の父として、現代でも脈々と産駒にスピードを伝えている。また母のラニザナは、名馬Ribotと同じ父Teneraniを持ち、曾祖母Romanellaの血がRibotの母にあるので、3/4が同血で、血の質だけを見れば世界的な優秀さを備えていた。

ただし、両者の交配では、主導が分かりにくく、また影響度数字が「0」を示すように、母の母の血がバランスをくずしている。ここが、天皇賞における詰めの甘さの血統的要因といえるだろう。とはいうものの、30年前の日本にも、現代に通用する血の質を持った馬が存在していたという事実は、記憶にとどめておく価値があるだろう。

 

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