久米裕選定 日本の百名馬

プレストウコウ

父:グスタフ 母:サンピュロー 母の父:シーフュリュー
1974年生/牡/IK評価:1A級
主な勝ち鞍:菊花賞

▸ 分析表

前回紹介したトウメイの仔テンメイを破って菊花賞を制したのがプレストウコウ。スピードを競う皐月賞、「運」まで要求されるダービー、それに対して菊花賞は「最強の馬」が勝つレースといわれてきた。それだけに、4歳三冠レースの中では、スタミナを重視した血統論議がにわかに盛んになるのもこのレース。そして、事実、歴代の優勝馬の顔ぶれを見ても、中長距離に実績を持つ種牡馬の産駒が名を連ねていた。

もう一つ、日本競馬の歴史において、オグリキャップ、タマモクロス、メジロマックイーン、ビワハヤヒデなどが活躍して、「最強の芦毛伝説」がいわれるようになる昭和63年頃までは、芦毛馬はクラシックでは勝てないというジンクスがあった。古馬では昭和45年(1960年)の天皇賞をメジロアサマが制したものの、4歳クラシック戦線では、芦毛馬はまったく勝てなかった。

そのジンクスを菊花賞で破ったのがプレストウコウである。しかも、父がマイラーのグスタフということもあって、同馬の菊花賞制覇は、当時の血統派の常識を完全に打ち砕くことになった。

《競走成績》
3~6歳時に24戦9勝。主な勝ち鞍は、菊花賞(芝3000m、3分07秒6=レコード)、京都新聞杯(芝2000m、2分01秒1=レコード)、セントライト記念(芝2400m)、NHK杯(芝2000m)、毎日王冠(芝2000m)、天皇賞・秋2着(芝3200m、1着テンメイ)。

《種牡馬成績》
中央での重賞勝ち馬はなく、主な活躍馬はウインドミル(東京ダービー)程度で、成績は不振であった。

父グフタフは、1959年英国産で、競走成績は7戦3勝。この3勝はすべて3歳時のもので、勝ち鞍の距離もミドルパークS(6F)を始め、6F以下。
日本の競馬界では、1964年のダービーをシンザンが制して以降、スピードタイプの種牡馬ソロナウェーから、キーストン、テイトオーと、2年連続でダービー馬が出た。そのため、輸入種牡馬も、ヒンドスタンに代表されるスタミナ系から、サウンドトラック(1966年)、マタドア(1967年)、テスコボーイ(1967年)、ミンシオ(1968年)、サミーデイヴィス(1968年)など、スピード系を求める傾向が強くなりつつあった。

そうした一連の流れの中にあって、Grey Sovereignを父に持つグスタフも、1970年、スピードの伝え手としての期待を受けて輸入された。しかし、プレストウコウのほか、主な産駒としては、タケデンジャガー(新潟記念)、ジュウジオー(北海道3歳S2着)などは出したものの、当初の期待ほどの実績は残せないまま終わった。

母サンピュローは、1964年生で不出走。その父シーフュリューは英国産で、8戦3勝。代表産駒として、アサデンコウ(ダービー)、ジョセツ(高松宮杯)などを出している。母方は、ミナミノホマレ、プリメロ、ダイオライトなど、いわゆる日本競馬の土台を支えてきた血で構成されている。母サンピュローの産駒は、プレストウコウのほか、関屋記念、福島記念、七夕賞など13勝をあげ”ローカル大将”とまでいわれた個性派のノボルトウコウ、準オープンのハイトウコウ(3勝)などがいる。

そうした両親の間に生まれたプレストウコウだが、同じ世代の代表レースの勝ち馬には、ダービー(昭和52年)を制したラッキールーラ(父ステューペンダス)、皐月賞のハードバージ(父ファバージ)、桜花賞のインターグロリア(父ネヴァービート)、オークスのリニアクイン(父セントクレスピン)がいる。そして、外国産馬マルゼンスキー(朝日杯3歳S)も同世代。

1世代上の昭和51年組には、当時「最強世代」といわれたテンポイント(父コントライト)、トウショウボーイ(父テスコボーイ)、グリーングラス(父インターメゾ)といった面々が揃っていた。

種牡馬ランキングでは、
 1) ネヴァービート
 2) テスコボーイ
 3) ファバージ
 4) パーソロン
 5) フォルティノ

が上位5傑を占めていたが、パーソロンを除く4頭はNasrullah主体の構成馬で、この頃からスピード化傾向が強まってきたことを示している。なお、この中で、ネヴァービート、フォルティノは、Man o’ Warなどアメリカ系の血に対応できる要素を持っている。サクラユタカオー、タマモクロスが、内国産種牡馬として、いまでも活躍できる理由の一つは、両者が、この血を含んでいたことによる。

つぎに、血統の常識をくつがえしたといわれるプレストウコウの血の秘密を、配合面から探ってみよう。

まず、5代以内の近親クロスはNearcoの4×5のみ。このクロスは、途中Pharos、Phalarisがクロスにならなかったために単一クロスで、影響力は弱められている。また、このNearco内で系列ぐるみのクロスを構成するPolymelus、Chaucerなどは7代目以降。したがって、他系統と比較しても、Nearcoは、血をまとめる役割は果たしても、いわゆる呼び水の機能を果たす形態にはなっていない。

それに対し、もっとも影響力が強いのが、位置と系列ぐるみの関係からBlandford(英ダービー)の5・6×6。この血は、父内Bahram(英三冠馬)、母内プリメロの父としてのBlandfordであり、プレストウコウのスタミナを形成する中心的な役割を果たし、かつ主導勢力を形成している。

さらに、このスタミナを強化する役割として、Rabelais、William the Third、Bromus-Sainfoinなどがおり、それらはSt.Simonによって結合し、アシストしている。

これに対し、スピードは、Tetratema-The Tetrarch、Polymelusで、両者はBona Vistaで結合し、また主導とも、前者がSt.Simon、後者がIsonomyで直結して、能力形成に参加している。さらにこの連動態勢の形態が、強調されているBig Game(2000キニー、チャンピオンS)内で、きっちり行われている。そして、そのBig Game内も、キーホースがきっちりと押さえられていることが、プレストウコウの血統構成の最大の長所といえよう。弱点・欠陥もなく、主導のBlandford、スピードのTetratemaへの結合状態も良好。Perth、Barcaldine、Musketなど、隠れたキーホースを押さえたきめの細かさも見逃せない点である。

以上の状態を、8項目でチェックすると以下の通りになる。
 ①=○、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=○、⑧=○
 評価=1A級、距離適性=9~12F

ここで、距離適性を9~12Fとしたことについて説明を加えておきたい。当時の一般的な血統論では、マイラーの父グスタフの仔ということから、プレストウコウは菊花賞(3000m)向きの馬ではないと見られていたことは先述の通り。しかし、この配合では、Grey Sovereign系といっても、その父Nasrullahはクロスにならず、Nearcoはクロスしていても、単一で影響は弱まっている。そのために、グスタフの父Grey Sovereignの影響度数字⑦は、実質的にはNearcoの3点を引いた④程度と考えられる。すなわち、スピード要素は意外に弱くなっている。

それにひきかえ、グスタフの母Gamismistressの⑪のうち3点Tetratema-The Tetrarchのスピード。残りの8点がBlandford-Swynford、White Eeagle、Sainfoin、William the Third-St.Simonで、これらはすべてスタミナ勢力。母サンビュローからのアシストは、BMSシーフュリュー内が、Rabelais、Swynfordの2点がスタミナ。Nearcoは単一で影響力が弱い。母の母健朝内は、4点のうち、The Tetrarch、Polymelusの3点がスピード、Blandfordの1点がスタミナ。

これらを総合すると、スピードとスタミナの比率は、4:6程度になり、完全なステイヤーではないが、明らかにスタミナ優位になっている。強調されているBig Game、Bahram、そして主導のBlandford自身の実績を加味すると、9~12Fという距離適性が導き出されてくる。
以上のように、I理論(IK理論)で分析すれば、たとえ父がマイラーであったとしても、母サンピュローとの間にできるクロス馬によって、中長距離を克服できるだけの血統構成へと、変貌を遂げていることがわかる。

つまり、プレストウコウの菊花賞制覇は、血統常識をくつがえしたわけではなく、血統構成上ではもともと距離克服の可能性を秘めた馬と判断できるだけの裏づけがあったことの結果なのである。それは、菊花賞だけでなく、5歳秋の天皇賞3200mで、カンパイ(発走のやり直し)の不利、再発走後も引っかかるなどのアクシデントがあったにもかかわらず、テンメイの2着を確保したことでも、長距離を克服できるスタミナを備えていたことを証明した。

少し観点を変えて、毛色のことにも触れてみたい。時々、競馬雑誌などで、毛色による能力判定といった記事を見かけることがあるが、I理論(IK理論)では、毛色は競走能力を伝達する遺伝子とはまったく別のもので左右され、能力との関連性もないという立場をとっている。

したがって、「芦毛馬はクラシックを勝てない」というジンクスに対しても、「たまたま日本の競馬の歴史がそういう状況であったにすぎない」という見解に立つ。このジンクスも、その後、ウィナーズサークル(ダービー)、ハクタイセイ(皐月賞)、ビワハヤヒデ(菊花賞)などの馬たちの活躍もあって、いまではまったく聞かれなくなっている。

参考までに、プレストウコウの芦毛は、どの血筋から伝わっていたのかを、9代血統表でたどってみよう(数字は世代を表す)。

①父グスタフ-②父Grey Sovereign-③母Kong-④父Baytown-⑤母Princess Herodias-⑥母Queen Herodias-⑦The Tetrarch-⑧父Roi Herodo-⑨Le Samaritain-⑩父Le Sancy -⑪母Gem of Gems-⑫父Strathconan-⑬母Souvenir-⑭父Chanticleer-⑮母Whim
と続き、わかっているのは1704年生で芦毛の祖といわれているオルコックアラビアへとたどりつく。
現代の馬の9代表では、The Tetrarchおよびその父Roi Herodo(芦毛)を出発点としてたどることで、芦毛の流れをつかむことができる。その仕組みを、3種類の毛色で簡単に説明すると優性の順位は

 芦毛 > 鹿毛 > 栗毛

となる。このうち、栗毛の遺伝子はホモのみで、芦毛と鹿毛はホモとヘテロの2種類。現在の種牡馬は、芦毛はヘテロがほとんどであり、ホモはメンデスが最後。

           -芦毛因子 ---芦毛
  種牡馬(芦毛) |
            栗毛因子    芦毛
           鹿毛因子 ---鹿毛
  繁殖牝馬(鹿毛)|
            栗毛因子 ---栗毛(ホモ)

したがって、上記のような毛色のヘテロ遺伝子を持つ芦毛の種牡馬と、鹿毛の繁殖牝馬との交配では、3種類の毛色の仔が生まれてくる可能性がある。

以上のことから、芦毛馬が生まれる場合、父母のどちらかは必ず芦毛でなければならず、前述のように、父母をたどることで、そのことが確認できる。このように、芦毛馬の中興の祖ともいえる存在が、The Tetrarchなのだが、この馬の誕生の背景には、一つのエピソードが隠されていた。それはこの血の父系で、サラブレッド三大始祖の1頭でもあるヘロドの系統は、19世紀末頃から、英国では絶滅の危機に瀕していた。それを復活させようと、愛国の生産者ケネディが、Roi Herodoをフランスから輸入し、そこに生まれたのが、The Tetrarch。そしてこの馬がたまたま芦毛であった。

The Tetrarchは、父系としては消滅してしまったが、現代のサラブレッドのスピード源として、多大な影響を及ぼし、もしもこの馬が誕生していなかったら、Northern Dancerも、Mr.Prospectorも、Nasrullahも、存続しえなかったわけで、サラブレッドの血統勢力図も大きく変わっていただろう。当然、日本においても、「芦毛伝説」などといった、それにまつわる言葉も存在しなかったはずである。

前述したように、毛色と競走能力の関連性があるわけではないので、芦毛だからといって、必ずしもThe Tetrarchの能力を受け継いでいるわけではない。しかし、世界では、芦毛のMahmoudがレコードで英国ダービーを制し、アメリカにも圧倒的スピードを誇った芦毛馬Native Dancerが出現している。日本でも、オグリキャップ、タマモクロス、メジロマックイーン、ビワハヤヒデと、多くの芦毛馬がレコードホルダーとなって、見る者に強烈な印象を与えてきた。The Tetrarchが、子孫に芦毛の毛色を伝えることで、父系は消滅しても、競走馬の血統の中に脈々と生き続けていることを、時としてアピールしているようにも思える。血の不思議である。

▸ The Tetrarch分析表

 

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