久米裕選定 日本の百名馬

サクラユタカオー

父:テスコボーイ 母:アンジェリカ 母の父:ネヴァービート
1982年生/牡/IK評価:3B級
主な勝ち鞍:G1天皇賞・秋

▸ 分析表

1983年と翌1984年には、ミスターシービー、シンボリルドルフと、2年連続で三冠馬が誕生している。サクラユタカオーは、そのルドルフが三冠を達成した年の12月1日に、中山の新馬戦(芝1800m)でデビュー勝ちを果たした。その後、万両賞(芝1800m)、共同通信杯4歳S(芝1800m)を連勝し、クラシック戦線の有力候補として、脚光を浴びていった。

しかし、好事摩多しのたとえ通り、本番を前にして脚部不安を起こし、8カ月の休養を余儀なくされた。その結果、春のクラシック戦は、皐月賞はミホシンザン(父シンザンにとって初のクラシック制覇)、そしてダービーはシリウスシンボリが制した。

サクラユタカオーは、秋に復帰したが、京都新聞杯、菊花賞は、ともにミホシンザンの4着に敗れた。続くマイルのダービー卿CTでは、スズパレードの2着入って、スピードの健在ぶりを示した。年が明けて、1986年の3月、大阪杯(芝2000m)では、同期で天皇賞の有力候補だったスダホークを破り、ようやく復活を遂げる。しかし、春の天皇賞では、距離の壁にはばまれて、クシロキングの14着と惨敗し、秋に目標を切り換えることになった。

秋初戦は毎日王冠。ここでは、1番人気は同期のミホシンザン、2番人気が3歳のニッポーテイオー、3番人気は上がり馬のウインザーノット、そしてユタカオーは休養明けということもあって、4番人気と評価を下げていた。レースは、ニッポーテイオーの先導で、11秒台のよどみないペースで進み、ユタカオーは中団に位置取りし、ミホシンザンは後方に待機。休養明けでも、しっかりと折り合いをつけていたユタカオーは、直線に向くと、前を行くニッポーテイオーをあっさりとかわし、古馬の貫祿をみせて、2馬身1/2の差をつけて圧勝した。芝1,800mを1分46秒0の日本レコードによる勝利であった。

そして、秋本番の天皇賞(芝2000m)を迎えたが、1番人気はやはりミホシンザンで、ユタカオーは2番人気に甘んじた。その後は、ライフタテヤマ、クシロキング、サクラサニーオー、ウインザーノットと人気が続く。レースは、ウインザーノットが逃げて、ユタカオーは4番手集団、それをマークするように、ミホシンザンもいつもより前の中団に位置して、レースが進む。自分のペースに持ち込んだウインザーノットは、直線でも粘りを見せたが、ユタカオーの素軽いスピード、差し脚の切れは、ここでも違いを見せつけた。2着にまたも2馬身1/2差をつけ、1分58秒3のレコードタイムで優勝、念願のGⅠタイトルを手中におさめたのである。

続くジャパンカップ(芝2400m)では、2戦連続レコードタイム勝ちという実績が買われ、ユタカオーは、ライバルのミホシンザンや、「鉄の牝馬」と言われていたフランスのトリプティクらを抑え、堂々の1番人気に支持される。しかし結果は、イギリスのジュピターアイランド(8番人気)が、2分25秒0のレコードタイムで優勝。2着は、よどみないペースを2番手で進んだアレミロード、3着にミホシンザン、そしてサクラユタカオーは6着に敗れた。

続く有馬記念(芝2500m)は、ユタカオーにとってラストランになったレース。ここでも、人気はミホシンザン、牝馬三冠のメジロラモーヌに次いで、ユタカオーは3番人気だった。しかし、勝ったのは、同年のダービーを制したダイナガリバーで、ユタカオーは7着と敗れ、有終の美を飾ることはできなかった。そして、翌1987年から、種牡馬生活に入った。

《競走成績》
2~4歳時に12戦6勝。主な勝ち鞍は、天皇賞・秋(G1・芝2000m)、大阪杯(G2・芝2000m)、毎日王冠(G2・芝1800m)、共同通信杯(G3・芝1800m)など。

《種牡馬成績》
代表産駒は、サクラバクシンオー(スプリンターズS=G1・芝1200m2回)、エアジハード(安田記念=G1・芝1600m)、サクラキャンドル(エリザベス女王杯=G1・芝2400m)、ウメノファイバー(オークス=G1・芝2400m)、トゥナンテ(毎日王冠=G2・芝1800m)、ダイナマイトダディ(中山記念=G2・芝1800m、京王杯スプリングC=G2・芝1400m)、ユキノビジン(クイーンS=G3・芝2000m、オークス=G1・芝2400m2着)、サクラセカイオー(エプソムC=G3・芝1800m)、システィーナ(中山牝馬S=G2・芝1800m)など。

父テスコボーイは英国産で、3歳時にのみレースに出走して11戦5勝。実績としては、二流のマイラーといった評価で、日本には1967年に輸入され、翌68年から種付けが開始された。産駒は、初年度からランドプリンス(皐月賞)を出し、その後もテスコガビー(桜花賞、オークス)、キタノカチドキ(皐月賞、菊花賞)、トウショウボーイ(皐月賞、有馬記念、宝塚記念)、インターグシケン(菊花賞)、オヤマテスコ(桜花賞)、ホースメンテスコ(桜花賞)、ホクトボーイ(天皇賞)、アグネステスコ(エリザベス女王杯)、ハギノカムイオー(宝塚記念)など、毎年のようにクラシックウィナーを送り出した。日本のトップサイヤーの座に登りつめるとともに、日本の競馬のスピード化に対しても、多大な貢献を果たした。

テスコボーイ自身の血統構成レベルは、その実績と評価が示す通り、決して一流の内容とはいい難い。その父Princely Giftが持つスピード源のMumtaz MahalやThe Tetrarchがクロスになれず、中途半端な中距離馬という内容の配合であった。それでいて、日本のトップサイヤーに君臨することになった理由は、簡単に整理すると、以下の通りになる。

① 自身の5~8代の位置で、St.Simon、Galopinの土台構造ができていたこと。
② 日本競馬の血統史の根幹となるBlandford、およびGainsboroughが、当時の繁殖牝馬の中に多数派として浸透していたこと。
③ テスコボーイ以前に、Never Say Die系として、NasrullahやThe Tetrarchを含むネヴァービートなどが、繁殖側に広がりを見せていたこと。
④ 母Suncourtの父として、Hyperionの血が配されていたこと。

以上のように、1970年当時の日本競馬の血の趨勢を引き受ける形態を、自然に備えていたことが、テスコボーイが種牡馬としてブレイクした主な理由である。代表産駒たちの配合傾向を、上記の要件に当てはめてみると、②がキタノカチドキ、インターグシケン、ホクトボーイなど、長距離をこなした馬たち。③がNasrullah主導のスピード馬テスコガビー、そして④がHyperion主導の中距離馬トウショウボーイである。サクラユタカオーは、③のパターンに該当する。

母アンジェリカは、特別を含めて2勝馬。Nasrullahの血を受け継ぐネヴァービート産駒だが、内容的には、Solario、Blandfordが前面でクロスとなり、母の父ユアハイネス(愛ダービー馬)を強調した形態で、スタミナ優位の形態を保っていた。産駒は、サクラユタカオーの他、サクラシンゲキ、そして皐月賞・菊花賞を制したサクラスターオーの母サクラスマイルを出している。

また、母系には、牝馬ながら有馬記念を制したオークス馬スターロッチが配され、ここでもスタミナ要素を持つことが確認される。サクラシンゲキが、Nasrullah主導のドンの産駒で、韋駄天と呼ばれながら、2000mを超える距離でも意外に粘りを発揮できた要因も、このアンジェリカ内ユアハイネスのスタミナのアシストが効いたいたためである。そうした父母の間に生まれたのが、サクラユタカオーである。

まず5代以内のクロス馬を見てみると、Nasrullahの3×4、Nearcoの4×5・5、Pharos(=Fairway)の5・5×5、Solarioの5×5がある。NearcoとPharosは、主導のNasrullahの系列で直結している。Solarioは、St.Simon、Galopin、Sainfoin(=Sierra)で結合を果たし、スタミナを供給している。

それ以外のクロスでは、Hurry Onの5×6、Bachelor’s Doubleの6×7が、かくし味的なスタミナを供給している。また、スピードの裏づけとなるThe Tetrarchが6・7×7・7・8で、Sundridgeが7・7・8×7・8・9・9でクロスし、主導のNasrullahをアシストして、スピードを供給。すなわち、この配合は、Nasrullah主導のもとに、父母の持つスピード・スタミナ要素をしっかりとまとめあげていることが確認できる。

G1を制する馬の血統的要件としては、「スタミナの裏づけを持つスピードの再現」という構造を持つことが必須である。それでいえば、サクラユタカオーには、Solario、Hurry On、Blandfordを通じて、祖母内の愛ダービー馬ユアハイネスの血が、主導のNasrullahにしっかりと組み込まれている。さらに、有馬記念馬のスターロッチのスタミナも、かくし味として加わっている。この裏づけをもつスピード再現構造を持ったことが、天皇賞・秋で見せた、直線の差し脚の切れに結びつき、2戦連続日本レコード樹立の血統的基盤となっていたのである。

ユタカオーの配合を、8項目で評価すると、以下のようになる。

 ①=○、②=○、③=○、④=□、⑤=□、⑥=□、 ⑦=○、⑧=□
 総合評価=3B級 距離適性=6~10F

種牡馬としてのサクラユタカオーは、期待通りにそのスピードを産駒に伝え、同じ父(テスコボーイ)を持つトウショウボーイとともに、実績を残してきた。その中でも、代表産駒といえば、なんといってもG1スプリンターズSを2回制したサクラバクシンオーだろう。

バクシンオーの血統は、父ユタカオーとは少し傾向が異なり、Nasrullahのクロスは持たず、主導はHyperionの4×5・4で、Plucky Liegeを伴うBull Dogでスタミナを補給している。スピードは、Mumtaz Mahalの6・7×8・8・8で、ここにTetratemaの7・8×8、さらにその父The Tetrarchの7・8・8・8・9×8・8・8・8の9個のクロスが加わり、能力形成に参加している。これこそが、スプリンターズSを2回制覇というスピードの血統的要因である。

ただし、バクシンオーは、Hyperionを主導としながらも、上位クラスではマイル以上の距離で実績に乏しい馬であった。その理由は、ユタカオー自身がスタミナ源としていたSolario、Hurry Onがクロスとならなかったこと。そして、ノーザンテースト内のVictorianaが完全に補修されなかったことが、距離的限界を示した要因と考えてよいだろう。

サクラバクシンオーの8項目評価は以下の通り。

 ①=○、②=○、③=□、④=□、⑤=□、⑥=□、 ⑦=○、⑧=○
 総合評価=3B級 距離適性=6~10F

▸ サクラバクシンオー分析表

ここで簡単に、同じ父を持つサクラユタカオーと、トウショウボーイの違いについて触れておこう。トウショウボーイは、三冠馬のミスターシービーを出し、種牡馬としての地位を揺るぎないものにした。それに比べると、サクラユタカオーのほうは、実績がやや劣る。その差は、母方の血の流れや、スタミナ比率の少なさが原因と考えられる。

そのかわり、トウショウボーイにはない特色を備えていることも、見逃してはならない。それは、Never Say Dieに含まれているMan o’War-Fair Play、Sir Gallahad-Teddyの存在である。これは、当時から日本に浸透し始めた米系の血を生かすための要素であり、それがバクシンオー出現のポイントにもなっていた。もしかりに、バクシンオーの母サクラハゴロモにトウショウボーイを配していたら、産駒は不備をかかえた馬になっていたはずである。

トウショウボーイ産駒のミスターシービーが、種牡馬としては、いま一つ伸び悩んだのに対して、サクラバクシンオーのほうが、種牡馬としていまだに健在でいられる理由も、まさにこの点にある。米系の血への対応という時代の趨勢に沿うために、バクシンオーのほうは、血の入れ替えが自然にできていたのである。それともう一つ、アンバーシャダイの全妹にあたるサクラハゴロモの母=クリアアンバーの血の質のよさとスタミナということも、見逃せない要素である。血を後世に残すためにも、スピードとスタミナをほどよく調和させておくことが、必要なのである。

サクラユタカオーの血統構成は、いわゆる世界の深い芝の馬場で通用するような質の高いものではなかった。そしてその仔サクラバクシンオーもしかりである。しかし、Princely Gift、テスコボーイ、ネヴァービート、ノーザンテーストと、日本で一時代を築いた血を包含して、その流れを残したことは、日本の血統史上、意義のあることだと思う。そして、サクラバクシンオー産駒のショウナンカンプが髙松宮記念を制し、親子3代GⅠ馬となったことも忘れてはならない。ショウナンカンプにはタケシバオーの血も含まれており、種牡馬としての動向も見守っていきたい。

 

 

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