スクラムダイナ
父:ディクタス 母:シャダイギャラント 母の父:ボールドアンドエイブル
1982年生/牡/IK評価:1A級
主な勝ち鞍:G1朝日杯3歳S
今回の「百名馬」は、スクラムダイナを取り上げてみた。この世代は、ミホシンザンが皐月賞を制した後、骨折してリタイアし、戦国ダービーといわれた年である。スクラムダイナは、クラシックを制したわけでもなく、一般的には名馬と位置づけられるような活躍をしていないことも事実なのだが、血統構成上は十分に名馬の資格を備えていることも確かなので、ぜひ参考にしていただきたい。
《競走成績》
3~4歳時に6戦3勝。2着2回、3着1回。主な勝ち鞍は朝日杯3歳S(GⅠ・芝1,600m)。皐月賞は2着(GⅠ・芝2,000m、1着ミホシンザン)、ダービーは3着(GⅠ・芝2,400m、1着シリウスシンボリ)。
父ディクタスは、1967年フランス産。競走成績はフランスで走り、18戦6勝。GⅠ勝ちはジャック・ル・マロワ賞(芝1,600m)。クイーンエリザベス2世S(GⅡ)は、Brigadier Gerardの2着。1972年にフランスで種牡馬となり、リーディングサイアーランクは、81年2位、82年3位、83年3位の実績を残し、GⅠ馬はZarataia(オークトゥリーH・GⅠ)を出している。80年、日本に輸入される。
ディクタスの父Sanctusは、仏ダービー、パリ大賞典を制した名馬で、日本には、ディクタスの他、その直仔のサンシーが種牡馬して輸入されている。
日本でのディクタス産駒の代表としては、まずサッカーボーイの名があげられるが、その他にも、今回取り上げるスクラムダイナ、そしてその全兄弟ダイナフランカー・クリロータリー(アルゼンチン共和国杯)、ディクターランド(函館3歳S)、クールハート(関屋記念)、イクノディクタス(安田記念2着)など、距離の長短を問わず、活躍馬を輩出している。
ディクタス自身の血統構成は、Blenheim-Blandford系を中心にTeddy、Gainsboroughを加え、さらに特殊な血(Ksar、Sans Souci など)もきめ細かく押さえて、フランスらしい内容を示していた。その他の大きな特徴としては、Hyperion、Nasrullah-Nearcoを含んでおらず、それでいてMahmoud、The Tetrarchのスピードを備えていたことがあげられる。このことは、当時繁殖側に浸透し始めていたNasrullahのスピードを引き出す上で重要な要素となり(Mumtaz MahalとBlenheimが必然的にクロスになるため)、サッカーボーイはこの特性をうまく生かした配合といえる。
ディクタスとサッカーボーイの、8項目評価は以下の通り。
●ディクタス
①=○、②=□、③=○、④=○、⑤=○、⑥=□、⑦=○、⑧=□ 総合評価=1A級
●サッカーボーイ
①=◎、②=○、③=◎、④=□、⑤=○、⑥=□、⑦=○、⑧=◎ 総合評価=2A級
母シャダイギャラントは、当時としてはいち早くアメリカの血を内包していた牝馬で、十分現代に通用する質を備えていた。その父ボールドアンドエイブルは、米国で5勝しており、日本での産駒にはニチドウアラシ(マイラーズC)、カズシゲ(マイラーズC)などがいる。 そうした父母の間に生まれたのが、このスクラムダイナである。
スクラムダイナの血統は、まず主導が、位置と系列の関係からMahmoudの5×5・6の系列ぐるみ。ここに加わる血は、DonatelloのBlenheim、Wild Risk内のBlandfordなどで、まずはスタミナ勢力がアシストされている。次いでスピードがMah Mahal-Mumtaz Mahal。
そしてMahmoudとほぼ同等に強い影響を示しているのがBull Dog(=Noor Jahan)の6×5・5の系列ぐるみ。この血に対しては、スタミナ系のBois Rousselの母Plucky Liegeがクロスとなってアシストされるため、スピードよりもスタミナの核として能力参加を果たしている。そして、MahmoudとはBay Ronaldで結合し、連動態勢を整えている。
その他の影響度数字に換算される6代以内の血としては、Pharos-Phalarisと、Vatoutの6×6がある。このうち、前者はスピード、後者はスタミナ勢力として参加している。以上から、影響度数字に換算されるスピードとスタミナの比率は4:6程度となり、この馬の血統構成は、スタミナ優位の形態であると推測できる。
マイナス要素と考えられることは、父内ではTourbillon系、母内ではFair Play、Peter Panといった、アメリカ系の血を押さえることができなかったように、やや血の傾向が異なった点。しかし、これらは、9代目でBend Or、St.Simon、Sundridgeなどの血がクロスになっているので、欠陥にはならずにすんでいる。さらにもっとも影響度の強い母の母ギャラントノラリーン内のGallant Manのキーホースが押さえられて、全開していることから、全体としても、大きな能力減の要素にはなっていないと推測できる。
以上を8項目で評価すると以下の通り。
①=○、②=○、③=◎、④=□、⑤=○、⑥=□、⑦=□、⑧=○
総合評価=1A級 距離適性=9~12F
スムーズな血の結合と、祖父母4頭からバランスよくスピード・スタミナを受け継いだことで、たいへんしっかりとした中長距離型の血統構成の持ち主となっている。
このスクラムダイナは、父ディクタスの初年度産駒で、一般的な血統論では、10Fを限度としたマイラータイプと見られていた。その理由は、父ディクタス自身がマイルのGⅠを制していたこと、BMSのボールドアンドエイブルがBold Ruler系であること、母の母内にも、スピード系と見なされていたGallant Manが配されていたこと、そして何よりもスクラムダイナ自身が朝日杯3歳Sを制してしまったことなどによる。しかし、こうして理論に照らして内容を検証する限り、スクラムダイナは、12Fの距離をも十分に克服できるだけの能力の持ち主であったことを、改めて知ることができる。
となれば、たった6戦の戦績しか残していないが、その走りから、能力と血統の関連性の一致を見いだすことができるだろう。
私自身、当時はまだI理論(IK理論)に触れる以前で、一般的な血統論しか知らなかった。1984年といえば、シンボリルドルフが三冠を達成した年で、朝日杯でも、ルドルフの父パーソロンの勢いにつられて、同じ父を持つサクラサニーオーが好走することに期待していた。その他では、ハギノトップレディを出していたサンシーの産駒トウショウサミットのスピードにも注目していた。
年が明けて、スクラムダイナたちの世代が明け4歳を迎えた85年春。牡馬GⅠ路線の初戦皐月賞では、それまで快進撃を続けてきたミホシンザン(父シンザン)が1番人気に応えて、5馬身差の圧勝。ここでも根強い人気を示したサクラサニーオー(2番人気)は3着。そして、スクラムダイナは、好位粘って2着。しかし、直線伸びを欠いたと見られ、能力的にも距離的にも、限界を見せたというのが一般的な評価であった。
しかし、この皐月賞は、1,000mの通過が1分02秒2とスローな展開で、最後の瞬発力勝負になった。その意味では、配合から見た場合、スクラムダイナ向きの展開ではなかったという見かたのほうが正しかったと思う。勝ったミホシンザンのほうは、瞬発力勝負に有利なTetratemaの血を5代目に備え、それを生かせたことが、その勝利に大きく貢献したであろうことは、血統表からも読み取れる。
そして迎えたダービー。皐月賞を制したミホシンザンは骨折でリタイア。それに代わって、新たに名乗りをあげてきたのが、3月末に2,200mの若葉賞を制し、皐月賞は使わずにダービーに目標を定めて挑んできたシリウスシンボリ。これが1番人気となり、2番人気は父シーホークのスタミナが評価されてスダホーク。そしてスクラムダイナは、サクラサニーオーに次いで4番人気であった。
レースは、人気に応えたシリウスシンボリが優勝し、2着はスダホーク、スクラムダイナはハナ差の3着であった。
当日は、勝ち時計の2分31秒0が示すとおり重馬場。スクラムダイナは、大外を回された上に、レース中に骨折するというアクシンデントに見舞われていた。それでいて、差のない3着ということで、負けはしたものの、改めてその力が評価されることになった。しかし、時すでに遅く、残念ながらこのダービーを最後に引退を余儀なくされた。
朝日杯の勝ち時計が遅かったのはスクラムダイナがマイラーではなかったことを示し、皐月賞・ダービーの敗戦も距離の壁ではなかった、というのが、血統から見た同馬の評価である。
スクラムダイナの世代は、83年のミスターシービー、84年のシンボリルドルフと、2年続いた三冠馬の後に続く世代ということになる。そのことや、皐月賞で圧倒的勝利を飾ったミホシンザンのリタイアなどもあって、この世代は、いささか印象が薄く、それほど評価も高くなかった。
しかし、配合上の観点からすると、後の競走馬たちに向けて、新しい形態を示唆するような血統構成馬たちが登場してきた世代であるということは、記憶しておきたい。スクラムダイナにしても、クラッシクの栄冠を手中に収めることができず、その後種牡馬としても成功したとはいえないので、一般的にはそれほどの評価をうることはないだろう。しかし、この馬については、Mahmoudを主導とした自身の血統構成に、後のサッカーボーイ誕生のヒントが隠されていた。さらにいえば、Mahmoudの主導に、Teddy系のスタミナを加えた全体のバランス、血の内容は、いまをときめくサンデーサイレンスの血統構成ともダブられせることができるほど、時代を先取りした配合形態を示していた。そのことは記憶しておく価値があるだろう。
最後に、スクラムダイナと同世代に属する主な馬たちの血統構成も、簡単に紹介しておきたい。
●ミホシンザン(3B級)
Grundy型の配合で、Gainsborough、Blandfordのスタミナを核に、Sans Souci など特殊な血も押さえている。そして、スピードのTetratemaを5代目から系列ぐるみで生かしたことは、瞬発力勝負で有利に作用する源泉を形作っている。ただし、母の世代や能力参加の状態は決してベストとはいえず、この点が、後のシンボリルドルフとの勝負や古馬になってからの成長面などで、かげりを見せた要因になったと考えられる。
●サクラサニーオー(2B級)
Son-in-LawやAsterus、そしてBlandfordと、パーソロン産駒としてはスタミナにめぐまれ、スピードもThe Tetrarchがうまく生かされている。しかし、影響度の0が示すとおり、BMSのHawaii内の世代などバランスを崩していることも事実であり、ここが、人気になりながらも期待に応えられなかった要因と考えられる。
●シリウスシンボリ(1A級)
モガミとパーソロンの相性のよさに、母内タカウォークの血が、父内のアメリカ系の血を押さえ、強調したLyphardを全開させた血統構成。クロス馬の種類が多く、欧米の血の結合にぎごちなさを残すため、反応や切れの面で割り引く必要はあるが、Northern Dancer系の血を生かした、日本で最初のダービー馬として位置づけられる。
●ビンゴチムール(3B級)
ダービーで10着に敗退して「距離に壁あり」と評されたが、Nijinsky、Ribotのスタミナを生かし、12Fの距離も十分に克服できる内容を示しており、現代でも十分に通用する質の高さを持つ血統構成の持ち主。父キングオブダービーは、むしろ現在のほうがそのよさが生かされるタイプの種牡馬で、その意味では輸入される時代がいささか早かったようだ。ちなみにビンゴチムールは、古馬になってから、2,500mの目黒記念をレコードで制している。
●スダホーク(1A級)
GⅠ勝ちはないが、アメリカJCC(GⅡ・芝2,200m)、阪神大賞典(GⅡ・芝3,000m)を制し、長距離レースでは、つねに上位に名をつらねていた。日本的なスピードを欠いていたことは、勝ちきれない不利な条件にはなったが、反面、英ダービー馬Blue Peterを主導としたそのスタミナは一流のものであり、ステイヤーの血統構成としては理論上の名馬ととして位置づけておきたい馬である。
●ブラックスキー(1A級)
皐月賞4着、ダービー13着と敗れたが、この血統構成をもってすれば、当時のGⅠ馬になったとしても不思議のない優秀な血統構成の持ち主であった。シャトーゲイ全開の形態は、タマモクロスに通ずるものがあった。
●トウショウサミット(3B級)
スクラムダイナと同様にMahmoud主導。スタミナ面では劣るが、主導の明確性と血の結合のよさが、この馬のスピードの源。NHK杯(GⅡ・芝2,000m)を制す。
この世代は、まさに関東全盛時代だったが、こうして当時の馬を検証してみると、本来は、もっと上級馬の層が厚くなっても不思議のない状況であったように思える。ちょうどこの年に、失地回復をめざす関西では、坂路コースが誕生している。それも一つの契機になって、やがて東西の力関係が逆転することになるわけだが、このときすでに、関東の馬づくりに対する姿勢という面で、かげりが出ていたといえるかもしれない。