久米裕選定 日本の百名馬

シンザン

父:ヒンドスタン 母:ハヤノボリ 母の父:ハヤタケ
1961年生/牡/IK評価:3B級
主な勝ち鞍:ダービー、皐月賞、菊花賞、天皇賞、有馬記念

▸ 分析表

昭和39年、戦前のセントライト(昭和16年)以来、23年ぶりに誕生した戦後初の三冠馬シンザン。その後、天皇賞、有馬記念も制して「五冠馬」という新語も登場し、日本競馬史に、「これぞ名馬」という実績を残す。

シンザンは、北海道浦河の小さな牧場で生を受け、当時300万円という値で取り引きされて、関西の武田文吾厩舎に所属。武田厩舎といえば、昭和35年に、コダマで皐月賞・ダービーの二冠を制し、その地位を確立している。シンザンの走法から考案された特殊な形態の蹄鉄は、「武田式シンザン鉄」と呼ばれ、同馬の快挙の裏に欠かすことのできないエピソードとして、語り継がれている。

昭和39年という年は、海の向うでは、シンザンと同期に当たるNorthern Dancerが、市場に出しても買い手がつかず、生産者のE.P.テイラー氏が自分の所有馬として走らせ、ケンタッキー・ダービーとプリークネスSの二冠を制した年でもある。

振り返れば、海外のSt.Simon、Ribot、Seattle Slew、Sea Bird、そして日本でも、カブラヤオーやタマモクロス、オグリキャップ、ミホノブルボンの例に見られるように、デビュー以前はさほど注目されなかった馬のほうが、後にとてつもない記録を打ち立て、歴史的名馬として君臨するケースが少なくない。シンザンもその例に漏れず、武田文吾厩舎の中では、オンワードセカンド、ソロナリュウ、そして牝馬のプリマドンナといった馬たちのほうが主戦に選ばれ、シンザンには、当初それほどの期待も信頼も寄せられていなかった。

シンザンは、皐月賞トライアルのスプリングSで、初めて有力どころに挑戦することになった。4戦無敗での出走とはいえ、裏街道を進んできたことや、調教師も東上しないことなどもあって、評価は低く、6番人気であった。しかし、そうした下馬評をくつがえし、シンザンは、ウメノチカラ、アスカ、ブルタカチホ、ヤマニンスーパーといった評判馬たちをしりぞけて優勝。このレースを機に、調教師、そしてファンのシンザンに対する見かたが一変したといえる。

そこから、シンザンの王道における快進撃が始まり、4歳三冠レースを制し、さらに古馬になってからの天皇賞も手中に収める。引退最終レースとなった有馬記念は、暮れの中山、稍重馬場で行われ、直線で加賀武見騎手のミハルカスが直線で状態のよい大外に持ち出して逃げ込みを図る。シンザンはというと、ミハルカスのさらに外に進路を取り、観客席側ギリギリのコースという不利をものともせず、1馬身3/4差をつけて快勝。このときの様子は、「観客の目から一瞬シンザンの姿が消え失せた」という、競馬史に残る名勝負であった。同馬は、どんな相手でも、決して大差で勝つといったことはなく、いつもきっちりと差しきるというレースぶりをし、その自らのスタイルを、最後のレースまで貫いた。

《競走成績》
3~5歳時に、19戦15勝、2着4回。主な勝ち鞍は、皐月賞(芝2000m)、ダービー(芝2400m)、菊花賞(芝3000m)、天皇賞(芝32000m)、有馬記念(芝2600m)、宝塚記念(芝2000m)、スプリングS(芝1800m)、目黒記念(芝2500m)。
4歳時=年度代表馬、最優秀4歳牡馬。
5歳時=年度代表馬、最優秀古馬。

《種牡馬成績》
代表産駒には、ミホシンザン(皐月賞、菊花賞、スプリングS、京都新聞杯)、ミナガワマンナ(菊花賞、アルゼンチン共和国杯2回)、グレートタイタン(京都記念2回、阪神大賞典、金杯、愛知杯)、キャプテンナムラ(阪神大賞典、鳴尾記念、2着=菊花賞)、シルバーランド(マイラーズC、愛知杯2回、CBC賞、京阪杯)、ハシコトブキ(京都記念、朝日チャレンジC、愛知杯)、シンザンミサキ(鳴尾記念、愛知杯、3着=天皇賞)、ロイヤルシンザン(安田記念)、スガノホマレ(日本短波賞、CBC賞、東京新聞杯、京王杯オータムH)、フジマドンナ(カブトヤマ記念、福島記念、中日新聞杯)、シングン(金鯱賞、朝日チャレンジC)、ブルスイショウ(カブトヤマ記念、クモハタ記念)、ウラカワチェリー(阪神牝馬特別、北九州記念)、フジリンデン(北九州記念)、アサヒダイオー(カブトヤマ記念、3着=天皇賞)、ゴールデンボート(京王杯スプリングH)、ヒヨシシカイナミ(愛知杯)、アサヒテイオー(日経賞)、キョウワシンザン(小倉3歳S)、スピードシンザン(2着=オークス)など。

父ヒンドスタンは、1946年英国産で、戦績は6戦2勝。そのうちの1勝は愛ダービー。日本には、1955年に輸入され、産駒にはシンザンの他、ハクショウ(ダービー、朝日杯3歳S)、ダイコーター(菊花賞)、ワイルドモア(皐月賞、弥生賞、スプリングS)、アサカオー(菊花賞、弥生賞)、シンツバメ(皐月賞)、スギヒメ(桜花賞)、オーハヤブサ(オークス)、ケンポウ(桜花賞)、ヤマニンモアー(天皇賞)、ヒカルポーラ(天皇賞)など、短・中・長の距離に対応するあらゆるタイプのクラシック・ウィナーを輩出した。1961~65年、67~68年の計7回、リーディングサイアーの座に着き、日本競馬の発展に多大な貢献を果たしてきた。

ヒンドスタン自身の血統構成は、その戦績が示す通り、つねに安定した力を発揮できるバランスのよさはないが、St.Simonの系列ぐるみを主導に、Gallinule内Stockwell、Newminster、Pocahontasを中心とした結合のよさは、長所といえる。この点が、ここ一番での底力発揮に結びついたと推測できる。
同馬の8項目評価は以下のようになる。

 ①=○、②=△、③=○、④=○、⑤=△、⑥=○、⑦=□、⑧=□
 3B級 距離適性=9~12F

▸ ヒンドスタン血統表

また、ヒンドスタンの種牡馬としての成功は、必要最低限のSt.Simonが適所に配されたこと、潜在的なスピード源としてNewminster(19個)、Stockwell(28個)を備えていたことなどが、その要因と考えられる。

母ハヤノボリは、セフトの代表産駒の1頭ハヤタケ(菊花賞、京都記念)の産駒で、特別レース勝ちを含め5勝をあげている。当時としては、ややシンプルさを欠く配合だが、Sundridgeのスピードに、Bill of Portland、-St.Simonの系列ぐるみでスタミナの核を形成し、なかなかしっかりした血統構成の持ち主であった。
ハヤノボリの8項目評価は以下の通り。

 ①=□、②=□、③=□、④=○、⑤=○、⑥=△、⑦=□、⑧=□
 2B級 距離適性=9~11F

▸ ハヤノボリ血統表

こうした父母の間に生まれたのがシンザン。同馬の血統構成は、まず5代以内でクロスしているのが、Gainsboroughの4×4。この血は、途中Bayardo、Bay Ronaldを欠いているが、母方にSt. Frusquinの系列ぐるみのクロスを持ち、スタミナの核として能力形成に参加している。つぎにシンザンの配合で特徴的なSun Worshipの4×5のクロスがあるが、これも途中Roseberyが断絶しているものの、Sundridgeを伴い、強い影響を示している。

このGainsboroughとSun Worshipは、Solarioの父母に当たり、Hampton、Galopin、Newminster、Sterlingを共有し、しっかりと結合を果たしている。その場合、Gainsboroughはスタミナ、Sun Worshipはスピードと、それぞれ役割を分担している。とくにSun Worshipの父Sundridgeは、1,200mのジュライカップを3回制しているように、スピードにすぐれた血であり、母ハヤノボリとの間で、5×6・7と前面でクロスをつくり、Amphionの後押しを得て、能力形成に参加できたことは、シンザンの能力を検証する上で、大きなポイントになる。

それというのも、シンザンの血の中で、6代以内にあって影響度数字に換算されるその他のクロス馬、すなわちGallinule、Carbine-Musket、St.Simon-Galopinたちは、すべてスタミナ色が濃い血である。もしもここで、Sundridgeが欠けていたら、シンザンは、何のへんてつもない、タフさだけが取り柄の平凡な馬で終わっていたはずである。つまり、同馬のゴール前における差し脚、あの有馬記念で見せたタフな馬場における頑張りは、このSolario内に集約されたGainsboroughとSundridgeという、スタミナの裏づけを持つスピードが全開した結果であり、それがシンザンの強さの源泉だったのである。
シンザンの8項目評価は以下のようになる。

 ①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=△、⑦=□、⑧=○
 総合評価=3B級 距離適性=9~15F

この評価は、日本の競馬史に偉大な足跡を残す馬のそれとしては、いささか低すぎるのではないか、と思われるかもしれない。たしかにその通りなのだが、シンザンの血統構成は、その内容を一つひとつ検証していくと、決して超一流のそれとはいえない部分が多いことも確かなのである。

まず、主導と見られるSun Worshipは、3戦0勝の馬で、自身の配合も決してすぐれた内容とはいいがたい。このことは、「主導勢力となる血は、すぐれた血統構成を持つ馬であることが望ましい」という、I理論(IK理論)の条件を満たしていない。つぎに影響の強いGainsboroughも、父母内にそれぞれ1連しかなく、全体の多数派ではないので、これもまた主導としては万全ではない。また、父母間の世代構成や全体のバランスも、いま一つの状態である。

そのような血統構成のシンザンが、なぜ五冠を達成し、最強馬の地位を獲得することができたのだろうか。この問いに対しては、当時の日本競馬が、まだ発展途上の段階にあり、総体的なレベルが低かった、というのが血統から見た結論になる。とくに、当時の馬たちには、スピード勢力がまだまだ不足しており、ダービー2着のウメノチカラや、シンザンと同厩でエースと期待されていたオンワードセカンドの血統構成と比較すれば、その一端を伺い知ることができる。
 
両馬の8項目評価もあげておこう。
■ウメノチカラ
 ①=□、②=□、③=○、④=○、⑤=□、⑥=□、⑦=□、⑧=□
 総合評価=3B級 距離適性=9~12F

▸ ウメノチカラ血統表

■オンワードセカンド
 ①=□、②=△、③=○、④=□、⑤=△、⑥=□、⑦=□、⑧=□
 総合評価=2B級 距離適性=9~11F

▸ オンワードセカンド血統表
 
ウメノチカラは、なかなかバランスのよい配合だが、いかにもスピード勢力が弱く、上位クラスのレースでは、皐月賞が3着、ダービー、菊花賞はともに2着と、いずれもシンザンに敗れている。Sundridgeのクロスは持つものの、父母内にそれぞれ1連のみで、シンザンほどの再現力を持っていないことが確認できる。

もう1頭のオンワードセカンドも、近親度が強く、開花の早いことは推測できるが、スピード勢力はいかにも弱い。この馬が、ダービー3着なのだから、同世代のレベルもおおよそ推測できるだろう。

こうしてみると、シンザンの血統構成内で再現されたSundridgeのスピードは、当時の馬の中では、いかに貴重な要素であったかがわかる。シンザンの配合上のポイントは、前述した通り、他馬には不足していたスピードを、より多く備えていたということある。もちろん、その素質を開花させることができたのは、厩舎の努力の賜物であり、目標のレースに向けた馬の仕上げなど、シンザンの能力を最大限に引き出した技量を抜きにしては、この馬について語ることはできない。

シンザンが成し遂げた偉業、そして日本競馬における功績については、異論をとなえるつもりはまったくない。ただし、血統・配合レベルという点に関しては、シンザンには、まだまだ改良の余地を残す「未完の血統構成馬」であった、という位置づけが正しいだろう。そして、こうした検証を行うことが、後世の馬の能力向上に必ず役立つことであり、同時にそれこそが、血統研究に課せられたテーマなのだと思う。

最後に種牡馬としてのシンザンにも簡単に言及しておきたい。Bois Roussel-ヒンドスタンの流れを受け継いだシンザンは、前述した通り、キャプテンナムラやミナガワマンナ、ミホシンザンといった長距離馬から、マイル~中距離をレコードで制したスガノホマレ、シルバーランドなど、個性的なステークス・ウィナーを輩出している。これらの馬たちは、シンザン内に包含されているスピード・スタミナ要素を、繁殖側の血によって、さまざまな形に変化させて具現化し、まさに配合の妙を示してくれている。

そこで、種牡馬としてのシンザンについてのより詳しい解説は、「百名馬」の1頭として一般にも認められている産駒のミホシンザンを中心にして、再度取り上げてみることにしたい。

 

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